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誰も教えてくれない、最初の試験

ガイドブックの冒頭には載っていない。入国審査官も触れない。着陸前のアナウンスでも一切言及されない。それなのに、日本の地を踏んで数分後、あなたは自分でも気づかないうちに、ある文化的リテラシーの試験を受けることになる。

エスカレーターに乗る。そして、間違った側に立つ。

では、ルールは容赦なく明快だ。左側に立ち、右側を歩く。通勤者たちはひとつの運動体となって上昇していく。鞄を脇に抱え、傘の角度を計算し、視線は中空のどこかに据えたまま。右側は高速車線だ。塞いでしまえば、背後に圧縮される一万人分の無言の不快感を——声ではなく、気配として——感じることになる。

そこから西へ500キロ。に飛ぶ。同じ機械に乗る。そして、すべてが反転していることに気づく。右に立ち、左を歩く。鏡像のように完璧で、完璧に混乱する。

これは単なる「癖」ではない。これはアイデンティティの地図なのだ。

二つの都市は、なぜ違う側を選んだのか

この分断の起源は、大阪と東京があらゆることについて議論するのと同じ熱量で論争されてきた——つまり、一方は声高に主張し、もう一方は気づかないふりをする。しかし、最も説得力のある説は、単なる慣習を超えた深層を露わにする。

東京の慣習が固まったのは、おそらく1960年代後半から70年代にかけてのこと。自動車の交通規則——左側通行、右側追い越し——の影響が色濃い。道路のロジックが垂直移動に援用されたのだ。官僚の都、規則を崇拝する都市・東京は、最も「規則らしい」モデルを自然に採用した。

大阪の物語は、もっと人間くさい。最も有力な説は、1970年のに遡る。海外からの来場者を大量に迎えるにあたり、大阪はヨーロッパ——とりわけイギリス式のエスカレーターマナー(右に立ち、左を歩く)を採用した。商人の都、つねに外を向いて交易と交流を重ねてきた都市・大阪は、最も「国際的」に感じられる慣習を選んだのである。

分断の地理学
  • 東京・東日本:左に立ち、右を歩く
  • 大阪・西日本:右に立ち、左を歩く
  • 京都:公式には不明——地元民はそっと大阪式に従うが、観光客の密度が美しい混沌を生む
  • 名古屋:真の緩衝地帯——駅ごと、時間帯ごと、そしておそらく街の気分によって慣習が変わる

この分断が驚くべきなのは、存在していること自体ではない。生き延びていることだ。日本は執拗に標準化する国である。コンセントの形状、お辞儀の角度、コンビニおでんの出汁の温度まで。にもかかわらず、半世紀以上にわたり、世界有数の二大都市圏は、動く階段のどちら側に立つかについて合意することを拒み続けている。エスカレーターの左右問題は、日本の表面的な均質性の下で、地方性がしぶとく息づいている証拠なのだ。

立ち位置が語る、都市の性格

東京の人間に「なぜ左側に立つのか」と訊けば、きょとんとされるだろう。そうするものだから、そうするのだ。この慣習が見えないのは、絶対的だからである。東京とルールの関係は生物学的だ——ルールが有機体であり、市民は細胞である。

同じ質問を大阪で投げれば、答えと冗談と逆質問が返ってくる。「東京がなんで全部逆やねん」。大阪のアイデンティティは、首都への対抗軸として構築されている。東京がなら、大阪は。東京がボタンを留めるなら、大阪は外す。エスカレーターは、この古くからのライバル関係が上演される、もうひとつの舞台にすぎない。

言語学者なら、大阪弁は動詞の位置もアクセントも笑い方も違うと指摘するだろう。経済学者なら、東京が政治的覇権を握るはるか以前、大阪こそが日本の商業の中心だったと言うだろう。文化人類学者なら、大阪のストリートカルチャー——屋台、お笑い政治家、歩行者信号を無視する有名な気質——は、東京とは根本的に異なる社会契約を体現していると論じるだろう。

そしてエスカレーターという慎ましい機械が、そのすべてを、左か右かというひとつの二項選択に圧縮しているのだ。

東と西の、曖昧な境界線

で東京から大阪へ向かうと、エスカレーターの慣習はどこかのタイミングで——名古屋あたりで——切り替わる。しかし、そこに標識はない。アナウンスもない。プラットフォームに線も引かれていない。転換は「空気的」なのだ。方言や料理の変化を誰かに確認される前に感覚として察知するように、身体で先に感じる。

名古屋は、二つの引力場の狭間に永遠に捕らわれた都市であり、最も興味深いふるまいを見せる。エスカレーターのアナーキーとでも呼ぶべき状態だ。東京式に従う駅もあれば、大阪式の駅もある。時間帯で変わる駅もあるようだ。住民たちは、動く階段に近づくたびに静かな内的交渉を行うと報告している——既に動いている身体を一瞬観察し、どちら側に立つかを決める。が、インフラに適用された瞬間である。

一方、京都は公式にはどちらにも与しない。古都はたいていの事柄においてそうであるように、洗練された曖昧さを維持している。観光客は好き勝手に立つ。地元の人間はなんとなく右寄りに——大阪式に——流れるが、大阪の確信はない。京都のエスカレーター上のふるまいは、京都そのもののように、優雅な無関心のパフォーマンスなのだ。

すべてを終わらせようとする運動

近年、鉄道各社や自治体は、両側に立つことを呼びかけるキャンペーンを展開している。歩行禁止。論理は実際的だ。エスカレーター上の歩行は事故を引き起こす。特に高齢者や障害を持つ人にとって危険である。片側立ちの慣習はまた、二車線の機械を一車線のボトルネックに変え、輸送効率を約30パーセント低下させている。

安全への取り組み
  • JR東日本、東京メトロ、大阪メトロなどがキャンペーンを実施
  • 名古屋市は2023年、エスカレーター歩行を正式に抑制する全国でも先駆的な条例を施行
  • 埼玉県は2021年に画期的な条例を制定し、両側立ちを明確に呼びかけた
  • しかし、これらの努力にもかかわらず遵守率は低い——慣習はキャンペーンより古く、しきたりはほぼ毎回、規制に勝つ

キャンペーンは丁寧で、粘り強く、そしてほぼ完全に不成功に終わっている。普段は公的指導に極めて従順な日本の公衆が、この習慣に関しては集団的に「交渉の余地なし」と決めたのだ。コンプライアンスを誇る国における、稀有な大規模市民的不服従の事例——それだけに、いっそう示唆に富む。

なぜなら、エスカレーターの慣習は、実のところエスカレーターの話ではないからだ。それは帰属の問題なのだ。正しい側に立つことは、自分がどこにいるかを知っていることのシグナルであり、その場所のリズムを身体化していることの証明である。身体で発するパスワードであり、身体はパスワードを簡単には忘れない。

旅人にとって、これが意味すること

日本を訪れる旅行者にとって、エスカレーターの左右問題は贈り物である。この国が一枚岩ではないこと——コンビニ、自販機、完璧な駅のプラットフォームという見かけの均質性の下に、激しいローカル・アイデンティティが脈打っていること——を教えてくれる、最も早く、最も読み取りやすいシグナルのひとつだ。

東京では左に立つ。大阪では右に立つ。名古屋では、日本人がするようにする——立ち止まり、観察し、空気を読み、選ぶ。間違えることもあるだろう。それでいい。日本は、どちら側に立つかについて50年間自らと議論を続け、解決する気配をまるで見せていない国なのだから。

分断のすべてが、解決されるべき問題であるわけではない。あるものは、その文化が生きている証なのだ。