辞書に棲む、読めない文字たち
あらゆる文字体系には奇妙な存在がある。英語には発音しない文字があり、フランス語には存在意義が不明なアクセント記号がある。しかし日本語には、それらをはるかに凌ぐ怪異がひそんでいる。幽霊漢字――国の公式規格に登録され、辞書に印刷され、コンピューターにコード化されながら、誰もその意味を知らない文字たちである。
読みは確認されていない。定義も定まっていない。いかなる文献、碑文、書物にも使われた痕跡がない。ある日ふいに公式記録に現れ、そしてそのまま居座りつづけている。
その名も幽霊漢字(ゆうれいかんじ)。文字通り「幽霊のような文字」。その来歴は、文字の歴史における最も奇妙で、最も愉快な脚注のひとつである。
文字はいかにして「うっかり」生まれるのか
物語は1978年に始まる。当時の通商産業省(現・経済産業省)が、コンピューター用の文字コード規格JIS漢字の制定という壮大な事業に着手した。デジタル時代の到来を前に、どの漢字を機械の中に棲まわせるか、国として決めなければならなかったのだ。
作業は膨大だった。日常で使われる漢字は数千字に及ぶが、編纂者たちは万全を期そうとした。市区町村の行政資料、地名台帳、人名記録、既存の辞書――ありとあらゆる資料からリストが作成され、照合・統合された。1978年に公布された最初のJIS規格(JIS C 6226)には、6,349字が収録された。
そしてその中に、幽霊が紛れ込んでいた。
- JIS規格(1978年版またはその後の改訂版)に収録されていること
- 歴史的な使用例が確認できないこと
- 読み(音読み・訓読み)や意味が検証できないこと
- 編纂時の転記ミス、誤植、誤読が原因と推定されること
原因は実に単純だった。編纂者たちが手書きの行政文書――地名台帳や戸籍簿、土地台帳――から漢字を拾い上げる際、にじんだ墨跡、崩れた字形、ある一地方だけで使われた文字に遭遇することがあった。別の画にはみ出した筆の跡。微妙にずれた偏や旁。役場の担当者の個人的な略字を「正式な文字」と読み違えたケース。
それらが主流の用法として実在するか、誰も確認しなかった。文字は律儀にリストに加えられ、規格にコード化され、デジタルの荒野へと放たれた。いったんJISに入った文字は、その規格を基盤とするすべてのコンピューター、すべてのフォント、すべての辞書に伝播していった。
幽霊たちに会う
2000年代初頭、早稲田大学の言語学者笹原宏之氏が、これらの亡霊文字に関する画期的な調査を行った。その成果は精緻であると同時に、じつに痛快である。
最も有名な幽霊漢字のひとつが「妛」だ。JIS規格に収録されているが、1978年以前のいかなる辞書にも見当たらない。笹原氏の調査により、地名台帳に記載された「𡚴」(稀少ながら実在する漢字)が印刷時に欠損し、上部が分離して「山」と「女」を組み合わせたように見える新字が出現したことが判明した。印刷事故がそのまま「新しい漢字」として転記され、規格入りしたのである。
もうひとつの幽霊「彁」は、おそらく最も純粋な亡霊だろう。読みなし。意味なし。出典なし。複数の研究者が出自を追跡し、ことごとく失敗している。JISのコード表に、招かれざる客のように鎮座している――無言で、無名で、まったく説明がつかない。
「碵」は、転記者が「碯」(「瑪」の異体字、瑪瑙の瑪)を読み誤った際に生まれたと推定される。一画の迷走が、幽霊を誕生させた。
- 妛 — 印刷欠損が原因の可能性大。「山」+「女」だが、理由は不明。
- 彁 — 究極の幽霊。読みなし、意味なし、出典なし。無。
- 碵 — 「碯」の誤読と推定。石偏に間違った旁が結合。
- 蟐 — 地方の昆虫名台帳からの転記ミスの可能性。
- 袮 — 神社関連の「祢」と偏(しめすへん/ころもへん)を取り違えたか。
なぜ幽霊は去らないのか
ここからが、いかにも日本らしい展開になる。正体が判明した以上、削除すればいい――そう思うかもしれない。だが、そうはならなかった。
いったんJIS規格に収録された文字を削除すれば、後方互換性が崩壊する。そのコードポイントを参照しているすべてのデータベース、すべてのアーカイブ文書、すべてのシステムが影響を受ける。幽霊漢字を消去すれば、デジタルの織物に穴が空く。空白のコードに遭遇したソフトウェアはクラッシュし、エラーを表示し、データを破損させかねない。
だから幽霊は残る。維持され、更新され、規格の改訂を経るたびに引き継がれていく。Unicodeコンソーシアムのマスターリストにも収録されている。あなたがいまこの記事を読んでいるデバイスのフォントにも組み込まれている。コンピューターのメモリのどこかに「彁」は静かに座り、呼び出される日を待っている――存在しない目的のために。
ここには深い詩情がある。もったいないの精神と、道具や概念にすら供養を捧げる文化の中で、幽霊漢字はある種の制度的慈悲をもって扱われている。説明はつかないが、捨てはしない。場所を与えられた以上、その場所は守られる。
幽霊が明かすもの
幽霊漢字はおかしい。誤字が法律になったようなものだ。だが同時に、文字というものの本質を鮮やかに照らし出す。
漢字は固定された永遠の物体ではない。書く手、読む目、符号化する機械によって形を変える、生きた造形物だ。いま存在するすべての漢字も、歴史のどこかの時点で誰かが「作った」ものである。「本物の文字」と「幽霊」の境界線は、私たちが思うよりもはるかに細い。もし「妛」が小説に使われ、詩に引かれ、どこかの共同体に採用されていたら、一世代のうちに幽霊から正字へと変貌を遂げていただろう。
文字とは集団的な合意の行為である。ある文字が「本物」であるのは、私たちがそう合意しているからだ。幽霊漢字とは、誰も合意書にサインしなかった文字――にもかかわらず、システムがちゃんとファイリングしてしまった文字なのである。
かくして幽霊は在りつづける。無音で、無意味で、公式に認定され、そして不滅。誰にも読めない漢字が、それを決して忘れない機械の中で永遠に生きている。
- 笹原宏之氏の研究論文および著書『日本の漢字』が、幽霊漢字を学術的に深く掘り下げている。
- JIS X 0208規格書には、幽霊を含むすべての収録文字とコードポイントが記載されている。
- Unicodeコンソーシアムの「CJK統合漢字」ブロックが、これらの文字を国際的に保存している。
最後の怪談
日本語の複雑さに驚くとき――三種の文字体系、数千の漢字、果てしない意味の層――思い出してほしい。この体系自身ですら、自分が何を内包しているか完全には把握していないのだ。広大な書記言語の建築のどこかに、空の部屋へ通じる扉がある。声を持たず、物語を持たず、存在する理由すら持たない文字たち。
それでも、彼らはそこにいる。日本では、幽霊にだって居場所が与えられるのだから。
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