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漫画外交官の国

群馬県のとある市役所の廊下で、蚕の着ぐるみを着た人物が振り付けの練習をしている。その隣の部屋では、官僚がこの蚕のグッズ売上の四半期見通しを精査している——ヨーロッパの小さな村の観光予算を軽く超える数字だ。ここは日本。行政とかわいいキャラクターデザインの境界線が何十年も前に溶けてしまい、誰もそれを引き直そうとしなかった国である。

彼らはと呼ばれる。「ゆるい」と「キャラクター」を掛け合わせた造語だ。この言葉を2004年に生み出したのは、イラストレーター・エッセイストの。彼は世界がまだ気づいていなかったことを見抜いていた——日本は工業的な規模でマスコットを生産しており、しかも誰もそれを統括していなかった。あらゆる自治体、あらゆる警察署、あらゆる地域の漁業協同組合が、頭でっかちでぐらぐら揺れる独自の使節を誕生させていた。この現象には名前が必要だった。

今日、日本で公式に登録されているゆるキャラの数は1,500体を超える。非公式にはその倍に達するかもしれない。彼らは市町村、都道府県、鉄道路線、自衛隊の各部隊、刑務所、税務署、そして——少なくとも一例では——正しい歯磨き習慣の概念を代表している。どこにでもいる。そして、不思議なほど真剣に存在している。

ゆるキャラ三箇条

みうらじゅんは名前をつけただけではない。ルールを体系化した。彼が定めたゆるキャラの三箇条は、今なおマスコット界の非公式な憲法として生き続けている。

みうらじゅんのゆるキャラ三箇条
  • 1. 郷土愛に満ちあふれた強いメッセージ性があること。地域のアイデンティティなきゆるキャラは、ただのぬいぐるみに過ぎない。
  • 2. 動きが不安定でユニークであること。優雅さは禁物。ぐらつきこそが核心だ。
  • 3. 愛すべきゆるさ、脱力感があること。洗練は敵である。ゆるキャラはナプキンの裏に描かれたように見えるべきだ——たとえ実際には委員会が6ヶ月かけてデザインしていたとしても。

この第三条が決定的に重要だ。最も成功するゆるキャラは、どこか少しおかしいキャラクターである——いびつに丸すぎる、目の間隔が微妙にずれている。その不完全さこそが招待状なのだ。がデフォルトの到達点とされる文化において、ゆるキャラは「失敗が許される聖域」を占めている。マスコットとして下手でもいい。むしろ、下手であることが求められる。

くまモン——経済を飲み込んだ熊

ゆるキャラを語る上でを避けることはできない。熊本県の黒い熊のマスコット。2010年、九州新幹線全線開業を前にした地域ブランディング戦略の一環として誕生した。そこには一つの革命的な経済判断があった——熊本県がくまモンの使用をロイヤリティフリーにしたのだ。どこの企業でも、許可を得て熊本のPRに繋がるなら、くまモンの意匠を無償で商品に使うことができた。

結果は驚異的だった。2019年までに、くまモン関連商品の累計売上は推定1,698億円(約15億ドル)に達した。3万点以上の商品に登場——米菓子、文房具、飛行機の機体、工事用バリケード。熊本県は「馬と温泉のイメージがなんとなくある場所」から、日本で最も認知度の高い地域ブランドの一つへと変貌した。

2016年4月の熊本地震の際、くまモンは一時的に公の場から姿を消した。災害時にマスコットが陽気に振る舞うのは不適切だという県の判断だった。その不在は全国ニュースとなった。数週間後にくまモンが復帰したとき、安堵の声は本物だった。人々は漫画の熊を、友人がいなくなったときと同じように恋しがっていたのだ。それがこの絆の深さである。

ゆるキャラグランプリ——マスコットが戦争に行くとき

2010年から2020年まで、日本は毎年を開催していた。数百体のマスコットが国民の投票を競う全国規模の人気コンテストだ。選挙のようなものだと思ってほしい——ただし候補者には政策もスキャンダルもなく、たいてい手足すら視認できない。

建前上は軽やかなイベントだった。だが実際には、地域の誇りを賭けた代理戦争と化していた。自治体は選挙活動に本物の予算を投じた。職員は投票を「推奨」された(ときに「指示」された)。組織票の疑惑も浮上した。2018年、滋賀県のマスコットが優勝した際には、市が組織的な電話投票キャンペーンを——しかも庁舎の電話を使って——展開したと報じられた。この騒動は、通常なら国会の汚職に充てられるような重々しさで夕方のニュースに取り上げられた。

グランプリは2020年に公式に幕を閉じた。主催者は「前に進みたい」という意向を示したが、イベントが政治的・商業的になりすぎ、ゆるキャラ本来の素朴な誠実さから乖離していたことを指摘する声もあった。しかしマスコットたちは引退しなかった。ただ、新たな舞台を見つけただけだ。

舞台裏の棚——古いマスコットの行き先

くまモン一体の成功の裏に、何百もの失敗したマスコットがいる。日本の自治体には、うまくいかなかったキャラクター事業の残骸が散らばっている——倉庫に眠る着ぐるみ、2014年を最後に更新されていないウェブサイト、16時に閉まる観光案内所で埃を被るグッズ。

成功しなかったゆるキャラのライフサイクルには、静かな悲哀がある。地元の委員会が意気揚々とデザインする。名前のコンテストが開かれる。夏祭りに何度か登場する。キーホルダーが少量生産される。そして——何も起きない。予算が尽きる。着ぐるみを着ていた人が定年退職するか、異動する。キャラクターは公式サイトに残り続け、小さなJPEG画像が虚空に向かって永遠に微笑んでいる。

この現象には、マスコット愛好家の間で非公式な呼び名がある——。善意と自治体の楽観主義が、ひっそりと化石になった風景である。

やわらかさという戦略

外から見ると、ゆるキャラ現象は不条理に映るかもしれない——真面目で勤勉な国民が、なぜか行政の書類に描かれた漫画キャラクターに夢中になっている。しかしその論理は、美学よりも深いところで作動している。

日本の公的機関には「堅さ」の問題がある。役所、警察署、病院は、厳格な階層と制度的な冷たさの場だ。マスコットはそのインターフェースを柔らかくする。笑顔のカワウソがパンフレットに描かれた税務署は、わずかでも恐怖感が薄れる税務署だ。ドアに漫画のキャラクターが描かれたパトカーは、子どもが逃げずに近づけるパトカーだ。マスコットは市民と国家の間の仲介層であり、官僚機構の歯車に設計された温かみが差し込まれた存在なのだ。

意外な場所に潜むマスコットたち
  • 自衛隊:複数の部隊がマスコットを保有。浜松の航空自衛隊にはジェット機に乗ったタヌキのキャラクターがいる。
  • 刑務所:北海道の旭川刑務所には「カタクリちゃん」という花の妖精のマスコットがいる。施設のイメージを和らげるために生まれた。
  • 税の徴収:複数の地方税務局がe-Tax推進のためにマスコットを起用している。
  • 献血:日本赤十字社は若い世代の献血者を集めるため、アニメやマスコットキャラクターとのコラボを定期的に行っている。

言語の壁を超えた親しみやすさの問題もある。漢字を一文字も読めない観光客でも、出口やゴミの分別ステーション、災害時の避難経路を指さす漫画のキャラクターならば理解できる。ゆるキャラはこの意味で、辞書を必要としない言語——日本が世界に向けて話すためのユニバーサル・インターフェースでもある。

野生のゆるキャラに出会うには

マスコットに会いたければ、最も可能性が高いのは地域の祭り()、百貨店のイベント、地方物産展だ。東京の銀座や有楽町エリアにある各県のでは、マスコットの出張イベントが定期的に行われている。地方のローカル線の駅では、マスコットのお出迎えイベントが不定期に開催されることもあるし、驚くほどアクティブなSNSアカウントを運営しているキャラクターもいる——天気に対する意見を持つ知的存在であるかのように、日常を投稿し続けている。

その出会いは短く、少しシュールで、不思議と胸を打つ。身長2メートルを超える漫画の大根が幼児にハイタッチしようとする姿を見ることになるだろう。中年のサラリーマンが発泡スチロールの蟹と一緒に写真を撮るのを目撃するだろう。そして気づくはずだ——全員が笑っている。義務的な作り笑いではなく、大人であることの重さから3秒だけ解放された人間の、不随意的な微笑みだ。

これこそがゆるキャラの本当のエンジニアリングである。経済でも、ブランディングでも、観光指標でもない。それは、真面目さが一時停止し、社会全体が「ぐらぐら揺れる、下手くそな熊に感情移入する価値がある」と集団的に合意する——その一瞬を製造する技術なのだ。かわいさは軽薄さではない。それはインフラである——日本が世界に差し出す、最も魅力的な告白がここにある。