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誰も書かなかった手紙

新宿の目立たないビルの一室に、あなたの代わりに会社を辞めてくれる会社がある。電話をかけ、約3万円を払う。すると、あなたの上司にとってまったくの赤の他人が——冷静に、プロフェッショナルに——退職の意思を伝える。あなたはもう二度とオフィスに行く必要はない。私物は宅配便で届く。

この会社はと呼ばれる。フリンジな珍サービスではない。急成長産業だ。今や日本には数十社がひしめき、弁護士が運営するもの、労働組合がバックにつくもの、チャットボットで完結するものまである。年間の利用件数は数万件。即日対応を謳うサービスもある。「もう二度と上司と話す必要はありません」——それが、彼らの売り文句だ。

こんなビジネスが存在すること自体が、日本において「辞める」という行為がいかに途方もない心理的重量を持つかを物語っている。そしてそのビジネスが繁盛しているという事実が、何かが根本的に変わり始めていることを教えてくれる。

書かれなかった聖なる契約

日本における——文字通り「仕事を転がす」こと——を理解するには、まずそれが何を侵犯するのかを知らなければならない。

戦後日本の経済的奇跡は、ひとつの暗黙の取引のうえに築かれた。あなたが会社に人生を捧げれば、会社は死ぬまであなたの生活を保障する。——それは法律ではなかった。契約書に記された条項でもなかった。それよりもずっと強力な何か——社会のあらゆる制度によって補強された共有信仰だった。銀行はローン審査であなたの勤務先と勤続年数を見た。結婚の見込みも同じ物差しで測られた。会社とは働く場所ではなかった。あなた自身だった。

この体制のなかで、は単なるキャリアの選択ではなく、裏切りだった。会社を変えた人間は疑いの目で見られた——不忠実、不安定、ひょっとすると欠陥品。日本の履歴書は、その厳格な時系列フォーマットと義務的な証明写真によって、空白や断絶を地層のずれのように露呈させるために設計されていた。採用担当者が探していたのは野心ではなかった。継続性だった。

暗黙のルール
  • 伝統的な日本の企業文化において、最初の就職先は最後の就職先であることが期待された。二度以上の転職はしばしば性格的欠陥と見なされた。
  • 」——耐えれば状況は好転する——それが企業社会の福音書だった。

石が温まらなくなったとき

1991年、バブルが弾け、石は冷たくなった。——1990年代半ばから2000年代初頭にかけて社会に出た世代は、契約が向こう側から破られたことに気づいた。終身を約束したはずの企業は労働者を切り捨て始め、「希望退職」という名の追い出しを行い、正規のポジションを契約・派遣労働に置き換えた。2003年までに日本の労働者の3分の1以上がに分類された。

最も残酷な皮肉はこうだ。留まることの報酬が消滅したあとも、辞めることの恥辱は健在だった。労働者が劣悪な環境にしがみついたのは、満足していたからではない。恥の社会装置——落胆する親、怪訝な採用担当者、かつての同僚からの冷ややかな視線——がフル稼働し続けていたからだ。会社は約束を守るのをやめた。しかし社員はまだ約束を守り続けることを求められた。

何かが壊れなければならなかった。

「転」の世代

変化はゆっくりと始まった。2010年代、ビズリーチやリクナビNEXTといった転職プラットフォームが、を最後の手段ではなくライフスタイルのアップグレードとして売り出した。テレビCMでは笑顔のビジネスパーソンがメタファーとしての扉を開き、より明るいオフィス、より高い給与、よりやりがいのある仕事へと歩み出した。言葉が変わった。転職はと呼び換えられた。

そこに人口動態の圧力が加わる。日本の生産年齢人口は20年以上にわたって減少し続けている。2020年代初頭には人手不足が深刻化し、力関係が逆転した。企業はもはや転職者をブラックリストに載せる余裕などなかった——応募者のすべてが必要だった。は1.0を超え、そのまま高止まりした。一世代ぶりに、労働者が交渉力を手にした。

若い世代——とりわけ1990年以降に生まれた人々——にとって、計算はとうに変わっていた。親の世代が会社にすべてを捧げた末に何も得られなかったのを目の当たりにしてきたのだ。氷河期世代は手本ではなく、反面教師だった。30歳未満の労働者を対象とした調査は一貫して、入社3年以内の転職を失敗ではなく合理的な軌道修正と見なす傾向を示した。石の上の三年は死んだ。スピードが新しい生存本能になった。

転職の数字
  • 2023年、350万人以上の日本人労働者が転職した——近代的な労働統計における過去最高の数字だ。
  • 20代の労働者のうち、約30%がすでに少なくとも1回の転職を経験している(厚生労働省データ)。
  • 退職代行業界の年間取扱件数は1万件超と推定され、3月と9月——年度と上半期の切り替わり——にピークを迎える。

恥の残留物

とはいえ、日本がジョブホッピングを全面的に受け入れたと言うのは、心地よい虚構だ。構造的変化は確かに起きている。しかし心理的な残留物も、同じくらい確かに残っている。

どこかのハローワーク——日本の公共職業安定所——に足を踏み入れてみるとよい。欧米のジョブセンターなら許容されないだろう空気がそこにはある。蛍光灯の無機質な光。番号札。うつむき加減に押し黙る来訪者たち。そこはチャンスの場所ではない。静かな贖罪の場所だ。

銀行、保険、伝統的な製造業——多くの業界において、履歴書に3回以上の転職歴があれば今でも警戒のサインだ。面接官は練り上げられた丁寧さで尋ねる——「」。この質問は決して中立ではない。正解がある(会社がリストラを行った、成長機会を求めた)。そして口にしてはならない真実がある(上司がパワハラをしていた、残業で身体を壊した、ただ、違うものが欲しかった)。

退職代行サービスが存在すること自体が、辞めるという行為が多くの人にとって依然として耐えがたい社会的摩擦であることの証左だ。日本では今、転職はできる。ただし、「辞める」を代わりにやってくれる他人が必要かもしれない。

去る者の儀式

自分の意志で辞められた場合でさえ、そのプロセスは欧米のプロフェッショナルを驚嘆させるほどの儀礼に包まれる。はしばしば手書きで、格式ある文語体で、所定の用紙に認められる。白い封筒に入れる。正しい折り方がある。正しいタイミングがある(退職の少なくとも1カ月前、理想的には2〜3カ月前)。直属の上司に、誰よりも先に伝えるという正しい順序がある。

最後の数週間、退職する社員はを行う——すべての部署、すべてのクライアント、知らせを直接聞けなかったことで気分を害しかねないすべてのステークホルダーを訪問する。小さな手土産——クッキー、個包装の菓子——を配る。「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と謝罪する。その言葉遣いはまるで、雇用が借金であり、退職がその一部を踏み倒す行為であるかのようだ。

この儀式は単なるエチケットではない。出発はそれ自体が、残る者に対して負わせる傷である——そうした世界観の名残だ。

新しい語彙、新しい世界

日本と「辞める」の関係が変容しつつある最も雄弁な証拠は、統計ではなく言葉のなかにある。

10年前、——在職中の求職活動——はどこか不倫めいた裏切りの匂いを纏っていた。今ではそれは中立的な、むしろ前向きな用語であり、昼休みの同僚同士の会話で公然と語られる。

という言葉はスキャンダルの棘を失い、日常語彙に溶け込んだ。——あからさまなブラック企業ではないが、成長もやりがいも未来もない職場——は、保守的な親でも容認しうる転職理由になった。そして——かつては途方もなく利己的な宣言——が、今では企業の採用コピーにセールスポイントとして並んでいる。

言葉が、文化がこれから向かう場所を先導している。あるいは、ただ歩調を合わせているだけかもしれない。

開いたままの扉

古い日本では、扉は一度だけ開くものだった。会社に入る。留まる。定年を迎える。死ぬ。

新しい日本——おずおずと、矛盾を抱えながら、自らの神話とまだ折り合いをつけ最中の日本——では、扉は回転する。まだ摩擦がないわけではない。おそらく永遠にゼロにはならないだろう。忠誠と義理と恥の引力は、方向転換を試みるすべてのキャリアの軌道を今なお歪めている。しかし扉は動くようになった。そしてそこを通り抜ける人々は、もう謝っていない。

——いや、少なくとも、代わりに謝ってくれる人に3万円を払っている。日本では革命にすら、然るべき作法がある。